取るに足らないこの世界で

舞台俳優とか、V系バンドマンを追いかけてる

同担拒否と、いいファンで居ること

 

 「同担拒否」「推し被り無理」。まだ私が小劇場界隈に来る前のこと、とある若手俳優を推していた友人が良く言っていた言葉だ。当時の私は、その言葉に共感できないで居た。同じ人を好きな者同士、絶対に話が合うし楽しいに決まってると思っていた。

 その考えは今も変わらないが、気付いてしまったことがある。推しを推せば推すほど、同担への嫌悪感が増しているのだ。はじめは純粋に推しが好きなはずだったのに、同担が居るということを認識してしまってからは、どうしても心穏やかで居られなくなってしまった。同担拒否などしないと思っていたのだが、好きになればなる程、お金を使えば使うほど、どんどん同担が嫌になってしまう。そんな自分も嫌になってしまう。

 

 

 同担の存在に気付いたのは、推しが同担のツイートにいいねをし、それがTLに流れてきたことがきっかけだ。内容まで詳しくは覚えていないが、ある舞台に出演した推しの役が好きだ、というような感想ツイートだったと思う。

 それを見たとき、私はとても誇らしい気持ちでいっぱいだった。そうなんです、推しはとても素敵な役者さんなんです。他にもこんな役やあんな役を演じているんです、と。

 

 それから、同担のツイートはしばしばTLに流れてくるようになった。最初は気になる役者さんのひとり、という雰囲気だったが、ある時期を境に彼が同担にとっての推しになったのだという事が分かった。その時の私は、マイナーバンドがメジャーに行くときのような複雑な気持ちはあれど、推しを認めてもらえたような喜びを感じていた。

 

 しかし舞台の感想ならまだしも、推しがいいねをすれば、同担の何気ない日常の呟きも目にすることになる。推しの呟きをタップすれば、同担からのリプライや、推しと同担の会話を目にすることになる。私の呟きにいいねはないのに、同担の呟きにはいいねがされる。私は推しにとってオキラなのだろうか、なんて悲観的になることもしばしばある。そんな事が積み重なって、あぁ実は私も同担は好きじゃなかったのだな、と気付いた。

 

 私には、推しにとっていいファンで居たいという願望がある。もちろん、推しのオキニになりたいが、それを突き詰め始めると病みだす事は分かっているので、せめていいファンで居たいと思うことにしている。

 例えば、観劇の頻度や手紙・差し入れを渡すこともそうだが、推しのツイッターに必要以上にリプライを飛ばさないとか、公の目に触れる媒体や場所で推しの名前を出して下品に騒がないとか、推しの舞台を観に行くときはいつも以上に身だしなみに気を付けるとか。

 周囲から見て、「推しには気持ち悪いオタクが付いているんだな…」と思われないよう。また、推し本人にも気持ち悪いオタクだと思われたくない一心で、自分の言動には細心の注意を払っている。勝手に決めたマイルールの中で、勝手に周りを気にしながらひっそりと息をしている。

 

 そう、こんな面倒くさい奴だからこそ、同担に必要以上に嫉妬しているのだ。私は飛ばせないリプライを飛ばして、推しと絡む同担がどうしようもなく羨ましい。好きだという気持ちを、ツイッターで、面会で伝えられる同担が羨ましくて仕方がない。

 だったらお前もやればいいのに、と自分自身でもよく分かっているのだが、結局傷付きたくなくて躊躇する。リプライが返ってこなかったら、面会でぎこちない会話しかできなかったらどうしよう。いや、そもそも推しに鬱陶しがられていたら?そんな風に勝手に自分で自分を抑え込んで、同担に嫉妬する。

 

 推し方は自由で人それぞれだし、私が10枚チケットを買うのと、私を含めた10人のファンがそれぞれ1枚ずつチケットを買うのでは全く意味が違う。だから、この感情や考えは、決して外に出さないようにしなければならない。

 

 自分の精神衛生を保つため、先日から推しのツイッターをミュートにしてみた。臭い物に蓋をする、というのは案外快適なもので、今のところ問題なく過ごしている。けれど、ここまでしなければならないのかと思うと、とても空しい。次の作品が始まるころには、また元通りなのだろうけど。